食事についての再考
食事について再考してみたいと思います。別に人類としての食事とか日本国民の食事といった大それたことではなく、自分個人としての食事です。
どうして食事を取るのか。最近そういったことを考えるようになりました。
お腹がすくから。
栄養を取るため。
体を動かすため。
グルメだから。
1日3食って決まっているから。
小さい頃からの習慣。
いくつか考えてみました。昔はほとんどの時、「お腹がすくから」食事をしていたような気がします。
これって要は脳からの指令なんだと思います。
お腹がすいたぞ、食事をしろ!そういう指令が脳から飛んできていたのではないかと思います。
でも最近は食事の目的が
栄養を摂ること。
体が不足しているものを摂ること。
にシフトしていると感じています。
毎朝筋トレをするのですが、その後にすぐにたんぱく質補給をするために生卵を3個ほど流し込みます。これはあくまで筋トレ後のたんぱく質補給のためなので、筋トレをしない場合は何も食べません。
日中は水分しか摂りません。炭酸水です。もちろん日中学生時代のような激しい運動をしていたら、話は別ですが、今はそういった動きはしないので、水分補給だけで十分だと感じています。
そして夜はたんぱく質と脂質を中心とした食事。ミネラルも摂れるようにしたいと思って、野菜を食べたりするめいかやエビを食べたりもしています。味というよりは栄養を摂るためには何を食べればいいのか、というのが先にあり、その後どういった料理をすれば、その栄養分をおいしく食べれるんだろう、そんな発想です。
最悪期の食事は正反対でした。おいしいものはないか。とにかくたくさん食べたい。こういった想いばかりが先走っていました。後は経済的に許せばどんどん食べる、そして飲む、といった感じです。
今の栄養中心の発想に変えてから、食事を変えてからは、量を求めることがなくなったというよりは、できなくなりました。理由はちょっとわかりませんが、以前のようにお米を2合も3合もペロッと食べるような食事の量ではなくなってきたのです。これも考え方や食事を変えたことによるのではないかと思っています。
というのも、これまでは体に不必要なものばかりを食べていたので、どんなに食べても体としては、満足せずに、もっと食べろ!という指令を出していたのではないかと思うのです。そしてさらに食べるも、必要な栄養は体内に入ってこず、さらに食べろ!という指令が飛ぶという負のスパイラルです。
しかし、今は体に必要なものが入ってきているので、変にそれ以上のものを体内に入れて、消化にパワーを割かれたくない、そんなメッセージを体が発しているのではないかと思うのです。
今の時代、おいしいと感じるものを手に入れるコスト(お金と手間)が格段に下がってきているのではないかと思います。しかし、それは逆に、体が本当においしいと感じる=体の栄養分となる食べ物を手に入れるという考えを見えずらくしているとも言えると思います。
人それぞれの考え方があるでしょう。
体がボロボロになったとしても、”美食”の道を選ぶ人もいるでしょう。それは立派な生き方だと思います。
残念なのは、そういった明確な意思を持っている人がわずかで、知らず知らずのうちに”おいしい”と感じるものばかりを求めてしまい、気づいたときには、もしくは気づかないうちに体を壊してしまっているケースが多々あるのではないか、ということです。
情報はかなり取りやすくなりました。それだけに、どの情報が必要なのか、ということを見極めることが重要になってきていると思います。AIに関する研究が進みますが、ちょっと不安ではありますね。情報操作もどんどんされる、もしくは偏った情報ばかりが入ってくるようになってしまわないように気をつけたいと思っています。